絵を描くということは

  • 2007.11.28 Wednesday
  • 12:21


 僕の引き出しから、一級品の登場です。なんのことはない話なのですが、これもこの4ヶ月の土台があって初めて響くことでしょう。


 僕が学生の時、現サガン講師・柴村氏が彼の恩師の語りとして教えてくれたものです。聞いたとき、ものすごく共感し、今に至るものです。(昔のことなので、少々脚色しています)


 「絵を描くことは(デッサンをすることは)、ドアのないニワトリ小屋に、ニワトリを追込むようなものである。一羽づつ捕まえて小屋に入れても、そのうち出てきてしまう。ニワトリを全部小屋に入れるためには、両手両足・全身を使い、そこら中を駆けずり回り、ニワトリを小屋に追込まなければならない。」


 このブログを読んでこられた方は、もうおわかりですよね。「一ヶ所に集中しない」「まわりを描かなければならない」「そこら中の手数を均一に」「外6:中4」・・・。


 一ヶ所に集中すれば、あとで合わなくなる。(一羽捕まえたところで、すぐに出てきてしまう)ベレーボーかぶって、パイプをくわえ、安楽イスで絵を描くなんてあり得ない(両手両足・全身を使い、そこら中を駆けずり・・・)本当によくできたたとえ話です。


 付け加えれば、ニワトリを追うときに、一羽を集中して見ませんよね。漠然と全体を映像として認識して、走り回るのでは? 訓練すれば、自分の絵も四角いファインダーのように脳へ投影されるようになる。


 集合写真を撮って、焼き上がった写真を見たらひどい構図で、端の人は切れているし、逆はすいているという経験がありませんか? その写真の中央には誰がいるでしょう? それは、撮影した人の好きな人。写真を撮るときは、四隅のチェックをしましょうね。絵を描く本質を知っている人は、そのようなことはしません。

制作イメージ図

  • 2007.11.26 Monday
  • 12:19
 

 これは、僕が考える制作イメージ図です。「0」がスタートで、縦軸に「プラスの描く」と「マイナスの描く」。そして横軸に「時間の進行」です。いままで、描いたり消したりとか、しつこく描けと抽象的な事を書いてきましたが、これを図にするとこんな感じです。


 ミケランジェロは部分から克明に彫り進み、最後まで彫ったらハイ出来上がりという信じられないほどの天才。だけど我が凡人は、粗彫りをして、だんだん完成させていきますよね。絵もそのような感じで制作します。


 ただ、ここで重要なことは、「いつでも終れる状態の描き進め方」です。このイメージ図の横軸に黒マルが交差するたびにあります。これが「終れる状態」。「プラス」と「マイナス」の振幅を時間の経過とともに小さくしていく過程で「完成」というのがある。それは、最初のうちは大胆な絵としての完成で、時間とともに緻密な絵になっていく。(自分がどちらを求めているかによりますが、大胆でかつ緻密な絵をけして求めてはいけません)


 描き始めがいい作品は最初の黒マルのところと考えていい。では、ここで終ってはだめなの? 答えは、それはたまたま。それを求めるのなら、その最初の黒マルまでを2〜3回の振幅をつけるぐらい意識をもってやらなければならない。


 頭のすみに、ちょっと置いといてくださいね。 


<追加イメージ図>



色はまわりに支配される

  • 2007.11.21 Wednesday
  • 12:18
 


 この絵は、水曜午後クラスの岩佐さんが初めて描いている油絵です。ずーと水彩をやっていたのですが、「油絵の方がカンタンだよ」との誘いにのって始めました。だから、初めてといっても2年分の土台があるわけですから、ズブの素人ではありません。


 前回に続き、先入観について。この絵では、赤いポットに黄色いカボチャ、そしてオーカー色の玉葱があります。先入観のかたまりのような方は、ポットを赤色系で、カボチャを黄色系で、玉葱をオーカー系で描きます。でも、本当にそうでしょうか?


 たとえば、人が赤い部屋に入れば頬は赤身をおび、青い部屋に入れば体調が悪そうに見えます。赤い色の壁は、赤いライトが灯っているようなものです。<色とはその周波数の電波を飛ばしている=難>


 ということは、赤いポットに、黄色や緑などのスポットライトがあたっているようなものです。「おお!赤の中にいろんな色が見えてくるではないか!」てな感じで、見る力がついてくれば、絵を描くのも楽しくなる。付け加えれば、制作途中にバックや床の色を変えたら、合わなくなる理由が解りますよね?そうです、外を変えれば中も変えなくてはいけません。


 色に責任はない。汚い色?まわりにキレイすぎる色があるから。では、まわりにもキタナイ色があったとしたら?そうキレイなんですよ。そして、ピンク色は暖かい色ですが、となりにオレンジがあれば冷たい色になる。

 また、バックの話になりましたね。まわりがなければ中は存在できないのだ。

固定概念・先入観、すてるべし

  • 2007.11.19 Monday
  • 12:11
 

 先月入会した松岡さんのデッサンをもとに、いろいろと・・・。

 今日、彼女に伝えたことは、3点。


1)細かいことをやるまえに、それぞれのトーンをおさえること。(一番明るいのはカボチャ、逆に一番くらいのは濃紺のビン。丸みなど無視して、平べったくそれぞれ違った明るさに塗りつぶした。これだけで、一気にでき上がった感じになります)


2)カボチャのデコボコは無視して、上面・前面・側面の三面の意識をもって描くこと。(すでに、デコボコになっていたので、三面の違いがでるように大ざっぱに描き足すと、ほーら立体感)


3)ガラスのものは、鉛筆を立ててガリガリと描かないと硬質感はでない。透明なものは、奥のものをハッキリとゆがめて描く。


 無料体験やデッサンの始めで、僕は立方体の箱を描いてもらいます。奥深いモチーフだからこそ、各人の先入観があらわになり、「物を描くとは、どう解釈して、どう見るか、である」ことが如実に体験できるから。(逆に、こんなもの一生描けなくてもいいとも思っているし、描ける人はいっぱいいるので、とくに絵画教室で勉強している方は、他のアクセスを試したほうはいい)


・立方体とはすべて同じ正方形で出来ている。だから、初めて描く方のほとんどはどの面も同じような面積になる。


・立方体も頭もカボチャもリンゴも作りは同じである。丸くない。


・円柱やマグカップを描かせると、間違いなく底が平らになる。(マグカップは中が丸くて、底が平らだという認識による)

プラスとマイナス

  • 2007.11.14 Wednesday
  • 12:09
 

 この黒い絵は、長島さんの作品(テストピース)です。土台の石膏板からの手作りで、これからの展開に向けて試行錯誤。以前、長島さんは「色派?白派?黒派?」と体質を訊ねて以来、ずーーと「黒」中心に制作です。


 描く行為には、描き加える「プラスの描く」と消して明るくする「マイナスの描く」の2種類がある。ということは、長島さんは真っ黒な土台を削って描いているのだから、「マイナス」だけで描いていることになる。いつもは白い紙に暗いところを鉛筆で描いているのだから逆のところに手を入れること。皆さんも黒い紙に白いコンテでデッサンをしてみるといい。ちょっと違った感覚に驚くことだろう。


 さらに、グレーの紙に白と黒で描くと、まさに「+と−」が行ったり来りしながら描くことを実感する。これがいままで言ってきた「描いたり消したりの繰り返し」ということ。ドロドロヌルヌルになる方は「マイナスの描く」を意識することにより、ナイフで削ったり、布でふき取ったりが出来る。


 けして、「消す」のではなく「マイナスの描く」である。

外を描くということは

  • 2007.11.12 Monday
  • 12:07
 

 「もうやめていいですか?」とすでにアキアキ、イヤになってしまった土方さん。そこで、「では、土方さんの描いたドライフラワーには手を入れませんからね。外側だけ、手を入れて、どれほど変化するか見ててください。さらに、色味は変えませんよ」とデモを開始。


 そのまえに、みなさんのアリガチナな傾向を押さえておきます。


1)奥にあるものを、軽く描いたり、ぼかす。


2)形が壊れるのが怖いのか、物の周りに塗り残しがある。際まで攻められない。


3)周りがうす塗りだったり、手数が少ない。


以上のことを踏まえて、手を入れます。


 まずは、バックにある色をパレットの上にたっぷりと作ります。(けして、画面上で色づくリをしません)それで、花や葉っぱの形を作るように外側から絵の具を置くように際まで攻めます。(中ははみ出す感じで、外は削る感じで描くと、形がくっきりとなります)絵の具もたっぷりとのせます。中がうす塗りなのでいい感じに違いが出ます。(くっきりと描いてもコントラストが小さければ、前には出てきません)


 土方さんは、サガンに入会してちょうど2年、上達著しい時期に。ほとんど毎日絵を描いているのでは?これからに期待です。

つぶしながら描く

  • 2007.11.07 Wednesday
  • 12:06
 

 「なんか、いいかんじ、じゃなぁい?」とご満悦。つぶすと、よくなることが実感した林さんでした。


 コンテで形をとったあと、「大胆にやりたい」とつぶやきながら、太刷毛でストライプに色をつけた。しかしその後、なーんにも大胆になれず、チマチマ色を置いている彼女に、「地の色を使ってまたストライプ塗ったら」とアドバイス。


 このストライプでつぶすと、たまたま隙間が出来て、ぜんぶつぶさないのがいい結果になった。さらに、強弱のない線に、生命を吹き込むことに。つぶすとは、ヤケノヤンパチで全部つぶすのではなく、一歩前にもどる気持ちが大切だ。だから地の色は初心に戻る色でもある。


 さて、問題は。いいかんじになったあと、ビビってフリーズ状態になること。もったいないと思わず、残念ながら壊れて元の木阿弥になること多く経験しなければならない。「難しい・解らない」ということではない。ただ、「道長し」ということのみ。

フレッシュな感覚

  • 2007.11.05 Monday
  • 12:04
 

 飯嶋さんの最新作は、先月のバリ旅行でのスケッチをもとにした「葉っぱ」の作品です。初日からもうこんな感じで、あとは絵の具の量と色味のバランス調整をして3回でさっと描き上げました。これも、旅行の印象が新鮮だからこそ。


 作者だけが感じ取ってきた、湿度・日差し・鳥の声・風、そんな印象を説明することなしに、絵にすることは取材が成功したということ。こんなときは、複数の作品を一気に描き進めるのがいい。だって、いつかは印象が薄れ、嘘っぽくなるから。


 移動ばかり多くて印象がごった煮になってしまう旅は、こうはいかない。欲張らない、一ヶ所滞在、なにもしない時間、そういう旅ではじめて新鮮な印象を得られると思う。次作品に期待!

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