故郷はいつまでも温かく

  • 2008.09.29 Monday
  • 11:33
 

 個展のため、ブログも教室も一週間のお休みでした。その個展開催地は、生まれ故郷の旭川市です。18才まで育ててもらった故郷は特別なところ、僕のオリジン、アイデンティティーそのものだ。 

 季節感、その空気、空の広さ。水、清流、川霧。いくつも蘇る記憶。そう、この感覚だ。いつも、遠くの土地で感じる感覚は、この物差しで測っているのだ。あらためて確認した一週間だった。東京での感じ方も、もちろん故郷の物差しなのだ。 

 その旭川での個展開催日が近づくにしたがい、ズシンと重い気持ちになった。これってプレッシャー? いつもと違う。故郷とはそんなに重いところなのか・・・。自分そのものの旭川が、どう受け入れてくれるのか? とっても小心者の僕。 

 そして搬入飾り付けの日。高校の同期が10数人集まってきた。学校祭のノリで80点の作品が順調につるされていく。受付当番表もできていた。僕は、会場内をウロウロしているだけでいい。友達らの温かい手のひらの上でくつろぐ赤子のように。 

 ラジオ出演2回、ケーブルテレビ放映、NHK報道、新聞2社記事掲載。以上、ぜーんぶ、地元の有志が駆けずり回り、つながりをフル動員して準備してくれました。 

 会期中は、当然小中学校の遊び仲間、迷惑をかけた先生。小さい頃かわいがってもらった親戚の伯父伯母。50才にして過去をロールスクリーンで見るがのごとく、懐かしい人との再会。 

 そう、故郷はいつまでも温かく迎えてくれました。ありがとう! そして、遠く北海道まで来てくださった、サガン我がクラスのみなさん、ありがとう! 

色・タッチ・手数の相互交流

  • 2008.09.17 Wednesday
  • 11:30
 

 ノルデの絵がそうなのだからしょうがない。無地の床に無地の壁をいかにいろいろ工夫して無地を表現するかを取り組んでる服部さんです。青みの世界にノルデの赤い本がアクセントになってます。 

 では、均一に塗ってはいけないのか? 答えはダメという理由はない。ブログに何回もでてきている、「色は回りの影響をうける」ということを理解しないで、単一に塗ればチンケなものになるのは明白だ。だから、初心者には、徹底的に色・タッチ・手数の相互交流を経験してもらう。 

1)いつも全体に手を入れる。それは塗りつぶすということではない。やりすぎたら拭きとればいい。 

2)色は塗るものではない。置くものである。置いた色のすぐそばを気にせず、その色を他で使えるところを探しだす。 

 以上が今日の教訓。いつものことを再度整理しました。実はこの絵、服部さんの2枚目の作品。分らん分らんと言いながら、一週間イメージトレーニングしているらしい。あっぱれ! 

絵作りという自由

  • 2008.09.15 Monday
  • 11:29
 

 野上さんの大判パステル画が本日完成しました。いやいや、完成という言葉はよくない、筆を終えました。日時的に切りがいいのでやめたい。・・・。 

 色の統一感もあり、当初からのイメージに沿った仕上がりです。横道にもそれず、しっかりやりたい方向に仕上がったのだから、以前の作品に比べて問題なくいい。だけど、次のステップにたどり着いたのだから、欲をもたなければならない。 

 先週に引き続き、「緊張感のある絵」にするには、さらなる四隅に気を配らなければならない。卓上のモチーフが占める面積は5分の1、ほとんどが回りの世界を描いている絵なのだ。もっともっとまわりに意識を! 辛いけれど、慣れると楽しくなる。そして、絵作りという自由を手に入れられる。 

 開き直れば、所詮「絵空事」 ならば好き勝手に「ソランジヨウ」ではないか。自由を手に入れよう。 

俯瞰の絵だと思ったら

  • 2008.09.10 Wednesday
  • 11:28
 

 毎度おなじみ、中森さんの新作が完成しました。緊張感のあるいい絵だ。しかし、今回はけっこう苦戦していた。 

 上下のバランスをとろうとしようにも上手くいかなかった。三つのモチーフの位置はすんなり決まったのに、床と壁がいまいちどっちつかずの状態。まずは床に敷物を二枚いれて密度を高めてみると、床はそこそこ決まるが尚のこと上がスカスカ。 

 最終的には、床の位置関係に目がいくのではなくて、カンカンがドーンと目立つようにコントラストをつけ、縁に面白みをたすことで、なんとか上部が主張しはじめて終了。俯瞰の見方だと思ったら、シルエットの絵だったのだ。 

中森さんの絵は密度のバランスが崩れた時は苦労する。なんたって物が少なくて、バック大好きだからね。でも苦労した分、カンカンの質感スッゴクいい。 

変革はひょんなところから

  • 2008.09.08 Monday
  • 11:27
 

 藤山さんの最新作です。しかし、地づくりの最中なのですが、出来ているというかなかなかいい。春の里山の雰囲気がよくでている。 

 仮に、このような手法をパッチワーク画法としよう。先陣ではなかなか荒々しい絵を描く木村忠太が思い浮かぶ。いままでのほのぼのフジヤマワールドを維持しつつ、どのように絵が変わっていくかが興味深い。たのしみです。 

 藤山さんは、自分の絵を変えようと思ったわけではない。このような漠然とした景色をいつものように描いていたら、話にならないほどチンケだった。そこで基本。具象も抽象関係ない。「面・線・点」! 色面がなければ始まらないので、パッチワークを薦めたら、おもった以上にいい感じになったのだ。 

 変革はひょんなところから。絶えず継続している方に与えられるもの。しかと受け止めよ。 

次につながる仕事

  • 2008.09.03 Wednesday
  • 11:26
 

 川内さんの水に沈むワイングラスが完成しました。水の揺らぎが小気味よく表現されています。この画像ではよく分らないが、バックの絵の具には意志を感じる。 

 残念なことに、まわりの大胆さに、グラスの細かさが埋没してしまった。やはり、何度も言うが、中も外も同じように仕事を進めなくてはいけない。まわりは、大胆な面どりから細部に移っている。しかし、グラスの中に最初から大胆な色面がないのだ。 

 こうやって自作の終了をもって、次のやるべきことが解ることは、とってもいいことだね。次が思い浮かぶとは、いい仕事をしたということです。 

アートになるとき

  • 2008.09.01 Monday
  • 11:26
 

 要するに、これは落書きである。役所が管理する壁画より、落書きの方がマシなことがあるいい例がこれだ。 

 苔むしたコンクリート壁をひっかくと、文字や絵が描ける。今年の夏はまるで亜熱帯地域の雨期のようなものだから、ひっかいた後すぐに若々しいコケが生えるのだ。コケの成長度により色の変化が美しい。 

 初心者が苦労を重ねて、何度も何度も描き直した絵は、その手あかに時間的意味がでて実にいい仕上がりになったりすることがある。苦労した最初のころの作品はとっておくべきだ。その中には、いろんなヒントが初々しくのこっているから。 

 さて、この落書きは、「度重なるダメージ」「自己再生」「点と線と面」「過去の形跡」「新旧の対比、変化」「朽ちる→輪廻転生」「ハート形のメッセージの違和感」「放置すれば均一なコケに戻る事実」「緑ハートに赤みを感じる補色の効果」とスラスラ分析することができる。 

 アートになるとき、美術的価値がでるとき、それはそれなりに理由がある。落書きもアートになりうるのだ。ジムダインにせまる作品だと思いませんか? 

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