答えは自分なのだ

  • 2009.07.29 Wednesday
  • 19:04
 

 久しぶりに、佐藤さんの途中報告です。ガラス・ビンなどの透明な器物を中心に製作を続けています。テーマを決めて、しばらくは続けてみる。このことはなによりも勉強になり、今後の糧になります。

 新聞、果物、白いテーブルクロスとくれば、間違いなく朝のイメージです。そこで、清々しい朝の光を感じるように、布地を明るく白を感じるようにしたところです。あとは、壁をライトグレッシュにすれば、基本の色構成は出来上がります。

 このように、いま何をしなければならないのか? いま、何のために・何の目的のために下地作業をしているのか? を考えることだ。これは判らないではなくて、考えて決めることなので、難しいと逃げてはいけない。答えは自分なのだ。

 描くとは、一本の決まった道を進むのではなくて、多くの選択肢を自分の決めたルールの元で渡り歩くようなものです。学校のテストの答案のように正解不正解があるわけではない。答えは自分で決めるもの。それを僕はアシストしている。

反転、それは知的な遊び

  • 2009.07.27 Monday
  • 18:29

 澤田さんの「湖面に映る森」 がもうちょっとで出来上がります。どっかで見たことありませんか?この風景。実は、あの東山魁夷大先生の白馬と森が写る景色です。吉永小百合が液晶テレビの宣伝で使っていたあれです。

 澤田さんが実際に行ってきて、本当に鏡そのもの湖だったようです。さすが日本画、忠実だったのですね。僕は、「へぇ〜〜〜〜〜」と本当の世界だったんだと、そのことに感心してしまいました。

 それにしても、この水に映りこむ題材は興味深い。意味を分析すると、転写・反映・逆転・裏返し・反転・裏側の世界・もうひとつの世界・虚構の世界・見えるが実在しない・・・・、鏡には別の世界という意味があるようだ。だから、小学校の鏡にはお化けがでるのだ。

 水面の虚構を描いて、実際の本物の世界を想像させる、仕掛けがあって、見る側に委ねるところが、大人の知的なゲームなのだろう。ストレートにバクハツ的な表現に対して、隠微な推理小説みたいな絵の世界があるのね。

素材をどう料理するか

  • 2009.07.22 Wednesday
  • 17:43

  これは、月曜日にあがった、飯嶋さんの浜辺の絵です。波打ち際なのが分りますか? それも夜明けの朝日が差し込みはじめた頃の情景です。

 水まわりを描き続けている飯嶋さんに、同じクラスの柳澤さんが「これ描いてみない?」と写真をあげたのです。ひと目で気に入り、さっそく描き始めて、ちゃーんと青いっぱいの飯嶋さんの世界に変貌させたのです。

 他者が協力を申し出て、その申し出をカタチニする。こういうおせっかいなことって、カルチャーセンターの中ではよくあるような気もするが、きっと稚拙に違いない。自分の教室を持って、思うことだけれど、講師が介在しないで事が進み、しっかりと自分の世界を表現することって、素晴らしいこととおもう。

 描く楽しさは、「素材をどう料理してあげるか」にある。課題のように与えられた写真を自分の世界にチェンジする、こんな大事が僕の教室で日常になってきた。実にたいしたもんだと思うところです。

色の選択はテーマそのもの

  • 2009.07.20 Monday
  • 18:39

 月曜午前クラスの山崎さん、タマネギの絵があがりました。それぞれの色が複雑に絡み合っていて、気持ちよい。

 アルミの寸胴は一色、タマネギの皮だって一色にちかい、ストライプの色だって単色。それをそのまま描いては、(普通は)絵になるものではない。色はお互いに干渉しあう、その物自体がその固有色という光を放つ。お互いに色物の懐中電灯を照らしあってるようなものです。

 だから、普通に観察すれば、いろんな色味が見えてくる。見えない方は、一色だという先入観・固定概念が邪魔しているからです。そんなものは、何にも役に立たないので、早めに捨てましょう。 

 もうひとつ。いろんな色が見えてきたら、次なる作業は色の強調。どの色を強調するかを選別しなくてはならない。大げさに描くことができるのが、絵の楽しさです。何を大げさに描くかが、テーマでもあるのですがね・・・。

 モチーフから、何を大げさに抜き取るか? 描きながら考えましょう。

変わり目に発表はいい

  • 2009.07.15 Wednesday
  • 18:03
 

 藤山さんの風景画があがりました。この秋に、名古屋である2人展に向けて量産体制に入りました。これは、春先・残雪のこる山と新緑萌える森の絵です。手前と奥の山との対比がおもしろく、制作の意図がはっきりしていてとてもいい。

 藤山さんは、今、絵の変わり目で、それなりに苦しんでいる模様です。「ほのぼのフジヤマワールド第2章」ってな感じで、いままでのイラストチックな画風から少々大人っぽい感じになりつつある。

 というのも、例のパッチワーク下地からの制作なので、色の深み重視になってきたわけだ。でもね、下地を活かすとは、描かないところ・塗りつぶさない処が解るということなので、そう簡単にいかない。やはり、結局ぜーんぶ塗りつぶしてしまい、下地の意味を無くしてしまう。

 そうこうするうちに、軽やかな絵ではなくなり、「フジヤマワールド」は遠のくのだ。でも、考え方を変えると、展覧会がいい時期にあるので、一石二鳥。発表を意識すると、ダラダラと時がすすむわけでないので、効果的に事が進むからいい。

 あと3ヶ月。鞭入れようかな・・・。

水辺はたのしい

  • 2009.07.13 Monday
  • 18:25
 

 柳澤さんの湖面に映る桜の絵があがりました。先月の教室ギャラリーの時に壁で乾かしていた時(我がクラスでは、「乾かし処」と読んでいる)一週間後には逆さまになってたのがおかしかった。他のクラスの方々が気をきかせて空を上にしてくれるのです。ここまで描けば大丈夫かな?

 写真で見ると、テーマであるはずの桜がしょぼい。これは、赤い鯉のまわりの緑に苦労したので、桜のことを忘れてしまったのかもしれません。最後に桜を足した方がよかったかもしれない。青空を駆逐するほどの桜花盛りが一番の動機だったはず。難しいけれど、魅力的な題材なので、いろいろな方法をもちいて再度トライして欲しい。

 というのは、赤い鯉の取り扱い方で、この絵はずいぶん変わります。「鯉は見えるか見えないか?どちらでもいいや」なら、まちがいなく桜重視になったはずです。桜重視でもう一枚どうですか? モネの睡蓮風に描くとどうなるのだろう? と期待も膨らむ。

 水面に映る、または反転する、モチーフは案外、普段の生活の中で手に入れることが安易。皆さんもトライしてみましょう。


身内を描くこと

  • 2009.07.08 Wednesday
  • 16:13

 今週の月曜夜は、モデルの都合がつかず、一日モデルを探していました。ひょんなところから話が盛り上がり、会員の袴田さんのお父さん(84才)を呼ぶことになりました。タイトルは「老人を描く」です。

 なかなか出来ない貴重な経験です。「老いる」を表現する意味・方法なんて、そう簡単なものではない。というより僕自身もまったく経験がない・・・。さて、1枚目はその袴田さんの素描です。身内と向き合うのは、なかなか難しい。どうみても若く、本人も20年前の記憶かしら? といってるぐらい。

 妻を描く、実の娘を描く、愛人を描く、いろいろあるが、想像するに愛人を描くのが一番楽な気がするのは僕だけだろうか? 有名どころの作家を紹介する文章に、背景にある人間模様があるけれど、感情がはいって想いがふくらめばふくらむほど、作品を作り出す自由を奪われる気がする。(その路線を歩む作家もいます)

 モデルもモチーフのひつととらえる僕は、できるだけさけたいと思っている。僕の恩師は、父親のデスマスクをデッサンしている。自分がそのようなことをしている姿を想像でいません。僕は避けたい。

 で、後の2枚は、田辺さんの鉛筆画と原田さんのアクリル画です。みなさん、一日でここまで描くのですから、チカラついてるよね。




美術館巡りと昼食会

  • 2009.07.06 Monday
  • 18:01
 

 先週の金曜日、我がクラスの有志が集ってゴーギャン展(国近代)と全国美術館連盟名作展(都美館)のふたつを観覧してきました。この日は、ゴーギャンは初日で後者は最終日前ということで両方見ることが出来る特別な日程です。(この写真は、その後の昼食会にて)

 下の写真にありますが、初めて時間前から並んで入場したのですが、これが大正解。人もパラパラの状態で見ることができました。後者の都美館は、もう渋滞が出来るほどの混みようで、要は人がいなければ作品はとってもよく感じるということ。

 ゴーギャンの作品内容は、展示の説明ボードでよーく語られていました。最近の学芸員の苦労が分るというものです。このような展覧会では、あまり見たことの無い初期の作品と対面するのがいい。実に正当印象派でした。

 よく知られている後半は、緑と赤の補色対比。その緑は、実に「ドミナント」で色味豊か。さらに、その緑の下には赤やオレンジが見え隠れしている。参加者の皆さんは、最近のブログで出てきている事を確認出来たよね?
 
 今の自分に必要なものを、大御所の作品から見て取る。あらたな取り組みをイメージ出来る。こんなことを私も取り入れてみよう。そう、私達はモノヅクリ人。感心してばかりではダメです。

 都美館の名作展は、入場料を支払えば全国の美術館巡りの気分にしてくれるものでした。混んでなければ、それなりに懐かしい作品とじっくり出会えただろうけれど、それは無理なこと。もう、足腰は疲れて、食事にビールのイメージ充満です。

 そして、締めくくりの上野公園「韻松亭」での食事は、庭と不忍池を眺めながらの懐石料理でなかなかグッド。もう一度行ってもいいところでした。今年もこの企画ができてなにより、またやりましょう!


背景だけで絵になるものだ

  • 2009.07.01 Wednesday
  • 17:50
 

 最近入会しました佐々木さん、ムスカリの絵があがりました。「ムスカリって、青い小さな花で、傘みたいなのですよね? う〜〜〜ん、あれは難しい。」 めちゃくちゃ簡単なスケッチしかない、当然小さな花なんか描いていない。これは無理だねと思いつつ、「バックだけ描いてみて」と指示しました。

 この意味は、小さな花なんだから、その花よりも背景の方が広い面積を有することが想像出来る。どんなに、小さな花が主役と思えども、無理なものは無理で、それはアクセントにすぎない。「まあ〜、かわいらしい、お花!」なんて喜んでいるのは、そこに来るまでの道程・まわりの空間との対比があって、はじめて喜ぶものだ。

 寿司桶の中の食べる順番。好きなものから食べるのか? 最後に好きなものを食べるのか?
 これは、絵の世界でも難しい問題だ。これを簡単に言い切ると、スピーディーに勢いよく各場合は、好きなものから。じっくりと描き上げる場合は、好きなものは最後に取っていた方がうまくいく。

 絵を描くことは、寿司のネタに通じるのだ。

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