繰返す

  • 2009.10.28 Wednesday
  • 18:19
 

 笹川さんの人物ドローイングです。ネリゴムと鉛筆ではなくて、ジェッソとメディウムのドロドロをネリゴム代わりに描いていて、けっこうテクスチャーがあっておもしろい。

 クロッキーが大好きな笹川さんですが、いまいち線の意味がわかっていない。線と中の調子は表裏一体であって、やはり一度はシツコク描いたり消したリを繰返さなくてはならない。少しずつ、線の強弱の意味を解りつつあります。(いや、解って欲しい)

 下の写真は、マティスの画集です。その中に、一枚の絵が出来上がる以前に、多くの同様の作品を描いていることを紹介しています。どんどん洗練されていくのが解ります。本当に頭が下がります。天才といわれる所以です。余計なものを省くことで、自分の興味を掘り起こしています。

 自動車教習所のように、第1段階、仮免、第二段階、卒検となっていれば簡単なんだけれど、モノづくりの現場は、ひたすら繰返すしか道はない。これが絶望と感じるか、希望と感じるかは人それぞれです。誰でも繰返せば、なんとかなるという事実。この世界には「How to 本」に載っていることだけではなんにもできない。


バックと中は49対51

  • 2009.10.26 Monday
  • 17:48
 

 川内さんの、オレンジカボチャが今日出来上がりました。オレンジの調整をしばらくしていたので、皆さんはタマネギと思われたようです。どちらでもいいのですが、カラフルな中でドッシリとした感じがいいので、カボチャの方がいいですね。

 最初に、抽象的な背景が出来たので、その描き方(ルール)にのっとったカボチャが必要になり、長い時間格闘したのです。同様の面の処理、オレンジの強さ(画面では少々赤身が強い)がとても大切。絵の中に存在するとは、こういうことです。

 この「同じルール、絵の中に存在する」ということが、絵を勉強する方々にとって最大なる難関である。バックはバック、中は中、と描きたくなるものだ。ここに、説明と表現との違いがあるのです。

 バックと中は49対51の微妙な違いで成り立つぐらいが、見る側に心地よく、想像力も高まるというものだ。明らかに違うと、ほんとにうんざりする。しかし、「プレーンなバックの名画もある」という質問が必ずでるのですが、あのプレーンな面にそうとうな密度や深さがあるのです。作者は、中と成り立つために、多くの苦労の上でプレーンの価値を高めている。

 逆もある。ペラペラなバックの絵があるとする。その場合は、ペラペラな中身が必要となる。そのペラペラで絵が成り立つために、その作家は、自身のポジションで相当な苦労をする。僕が言っているのは、「へたうま」のことではないですよ。
 

色味豊かとは

  • 2009.10.21 Wednesday
  • 18:19
 

 山崎さんの新作「ふたつの巣箱と二羽の鳥」です。青のバランスと青とオーカー系の対比がきれいだ。それは、多様な青の表情を他がもりたてているから、そしてけして邪魔をしていないから。

 絵の勉強をするにあたって、モノクローム(白と黒とか)、色数を制限(3色で)して制作することがある。皆さんが、そこまでしなくても、主になる1色がある絵を描くことは必要だ。テーマにしても色にしても、スポットを浴びている役と、もりたて役がある中で、作者は表現することを学ぶのだ。

 色味豊かと色数が多いは似て非なるもの。色数が多い時に以外と色味豊かとは感じないし豊かだとは言わないかも知れない。ひとつ言えることは、色数が増えることは難易度が上がるということ。(色数とは色相の違い)

 チンドンヤの衣装のように、色数が多いと目立つけれど下品。しかし、それを上品に仕上げることができる。色にはそれぞれ固有の明るさをもっていて、その明るさを同じにすれば、とても落ち着いた表現になるのだ。

 その色と明るさの関係をものにすることがタイヘンで、それが難易度の高さにつながる。多色に挑戦するも良し、基本を追求するも良し、今やっていることの意味を知って制作をして欲しい。

類似色と反対色

  • 2009.10.19 Monday
  • 18:20
 

 月曜午後クラス、神山さん、3作目の油絵が順調に進んでいます。絵の具のつきもよくなって着実に進歩しています。つきがよくなるとは、意識して絵の具を置くことが出来るということです。なにげなく、少量の絵の具をのばさないということ。

 モチーフと語らいながら絵を描くわけですが、自分の絵も見ながら描きます。そこで、ある色をさらに重ねる時に、どう考えるか? 
1)周りの色を混ぜた色を作る。
2)現状の色より、明るくしたいのか?暗くしたいのか?
3)現状の色の類似色を考える。(赤なら、黄色よりのオレンジか青色寄りの赤紫かのどちらか)
以上のように、まずは突飛な色を考える必要がないのです。皆さんは、あまりにも新たな色を使わなければならないと考えていませんか?(または、あまりにも使わなさすぎて単色になってしまう)

 色味豊な絵の基本は、たくさんの類似色とそれに対峙してアクセントとなる反対色の組み合わせです。この絵は、典型的な色彩パターンで、よーーく解りますよね。

 まだ、中盤。この調子でがんばってください。

考え方を180度変えると

  • 2009.10.14 Wednesday
  • 18:33
 

 柳澤さん、リベンジさくら編を終えると、あらよあらよ新作が出来つつあります。もう、おおかたいい感じですよね。水辺の生き生きしたコントラストがいい。写真でみると、いまいちのタッチも、解らないので、出来上がったように見えるのだ。

 ということは、この色味も、明暗のコントラストもそのままでいいということ。近づいて見た時の驚きをどうするかにある。何回も登場している話です。絵は近づいて見て、離れて見て、その変化に感心するものです。近づいて「へえ〜〜〜」離れて「へえ〜〜〜」と言わさなくてはならない。

 大胆な構図、おおまかな捉え方は、離れた時に内容を力強く訴える。細かい気の使い方は近づいた時に内容の深さを醸し出す。この相反する事柄が共存するのだろうか? 答えはYes。その細かい心遣いを大胆にレイアウトすればいいのだ。

 社会に出て、新入社員として働く、または、新米の奥さんもおなじことです。馴れて仕事を覚えるということは、手の抜き方を知ることに通づる。絵は対比によって成り立つ。手の抜き方を覚えると、ちょっとシツコク描いたところが輝く。

 自画像を描いていて、鼻が前に出っ張らないとしよう。鼻をいじらないで前に出す方法があるのです。それは、後頭部を後ろに引っ込ませば、いやでも鼻は前に出てきます。うまくいかない時には、まわりをいじれというたとえ。

 考え方を180度変えると、あっさり次のステップに行けることがある。

アクリル絵の具はむずかしい

  • 2009.10.12 Monday
  • 18:13
 

 石川さんのカランコエが出来上がりました。壊しては描き加えるという、スクラップ&ビルトを繰返して出来たのは、本当に分解されたカランコエでした。それなのに、長いこと描いて、耐えに耐えたカランコエはまだまだ咲き続けている。ちょっと感心です。

 B2サイズの紙に植木鉢1個なので、少々間延しているところがある、しかしそれより、本人の目(関心事)が周り至るところに注意がそそがれ始めたことは、次作につながるに違いない。アクリル絵の具の取り扱いも、2作目ということで、馴れてきた。

 アクリル絵の具は水性だから、乾けばかならず体積が減る。このことで、水を含んでいるいる時はいい感じなのに、乾くとがっかりするのだ。これを回避するために、アクリル絵の具にはいろいろなメディウムがある。アクリル画を自分のものにすることは、メディウムの効果を知ることです。

 さらに、アクリル絵の具・メディウム自体が接着剤のようなものなので、なんでも貼り付けながら描くことも出来る。そして、仕上げは油絵の具やオイルもOK。乾きが早いので、油絵や日本画も描き始めから中盤までアクリル絵の具を使う画家はけっこう多い。

 初心者が悪戦苦闘の結果、偶然ハッとするような作品をつくることがある。それは油絵ではあっても、まずアクリル画ではないでしょう。油絵の具の素晴らしさを感じるところです。

省くことでリアリティーが高まる

  • 2009.10.07 Wednesday
  • 18:24
 

 鈴木さんの「南の島、渚にて」が出来上がりました。白浜とエメラルドに輝く青い海、実にリゾート感覚あふれる作品になりました。この単純な構図でありながら、動きを感じるのは、細かい微妙なディテールにこだわりがあるからだろう。もし、そのこだわりが無ければ、舟のひとつでも浮かべないと絵にならない。

 そのような舟でも入れるかというのは、余計なたし算的操作である。だから、このようななーんにも無い絵だからこそ、空気の動きが感じられる。省くことで青と白の対比、そして微妙な動きが得られたのだ。

 実に気持ちよい。なんだか我がクラスでは、ミズモノのが流行っているようだ。それぞれの視点の違いで、絵の方向性が変わる。よーくわかっておもしろいね。しばらくは楽しめそうだ。

 

オンナジモノを描く

  • 2009.10.05 Monday
  • 17:45

 柳澤さんの湖面に映る桜の絵が出来上がりました。リベンジの2作目です。前回は水中を泳ぐ赤い鯉に注意を払いすぎて、テーマが散漫になってしまったのです。ちょっと面白い題材だったので、2作目を描くことを薦めたところ、ついに仕上げてくれました。

 2作目の方が、だいたいにおいて、いい作品ができます。それは、余計なものを削ぎ落とすからか。絵というものは、最初のうちは、あれもこれもと足し算になりがちです。巨匠という方々も何度も何度も同じものを描いています。そして、純度の高いピュアな作品になっている。

  これは、自省の弁ですが、物事の抽象化を一気に最初から試みる暴挙をしてはいけないということ。そう簡単なものではなく、ひとつひとつ、細かいことの、積み重ねでしか成り立たない世界です。到達点の概略はイメージ出来ても、けして小さな積み重ねがないと無理です。

 教室内で、「今度は何を描こうかしら」と悩んでいる方がいます。僕から言わせれば、ぜんぜん悩む必要はありません。ずーとオンナジモノを描けばいいのです。言い換えればオンナジモノを描ける題材と出会おうという努力が必要ということ。

 動機は不純でいい。キッカケはテキトウでいい。その後の、継続が大問題なのだ。

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